本メルマガは、週1回程度を目安に以下の3つのパートから情報をお送りさせていただく内容となっております。

  • 「Paradigm Shift -新しい価値観-」
  • 「Unique Asset Management -独自の資産形成-」
  • 「Zoom In -BALI or Philippinesのリアルな生情報-」
 

■Paradigm Shift -新しい価値観-


先日のとある会食で、ビジネスにおける組織の話になりました。
指示待ちの人間が多すぎて、なかなか物事が前に進まない。
こういった悩みはどこの組織にもあることだと思います。

小学生時代からずっとサッカーをやってきたこともあり、ビジネスにおけるポイントや考え方などを伝えるとき、サッカーに例えて話ことが多い訳ですが、今回もちょっとサッカーになぞらえて考察してみたいと思います。

実際にサッカーは世界中の国で、広く親しまれており、海外では「フットボール」や「カルチョ」など、いろいろな呼び方はありますが、日本では「サッカー(soccer)」が定着しています。

このサッカーという言い方は、1880年代頃から使われているんですが、語源は「association(団体・仲間)」の「soc」に「c」を加え、さらに人を意味する「er」をつけたものと言われています。

今でも「association football」が、サッカーの正式名称となっています。
つまり、サッカーとは組織そのものなのです。なので「強い組織」をイメージするには強いサッカーチームを考察すると非常にわかりやすいかなと思っています。

サッカーはほとんどの時間、フィールドでプレーが行われています。監督が事細かに指示を出せるのは、試合前かハーフタイムくらいしかありません。天候や対戦相手、フォーメーションなどと対峙しながら選手が自ら考えて、臨機応変に動くことが求められます。指示待ちでは試合に出られません。

これは社会に出てのビジネスの局面でも同じだと思います。
上役や上司が、常に部下やメンバーに寄り添うわけではありませんよね? 
たまに部下から報告を受けるくらいで、事細かな指示は挟めません。だいたい、部下も立派な社会人です。最初は手取り足取り指導するかもしれませんが、しばらくたてばプロのビジネスマンとして、いかに自立した考えで動くことができるかが、求められるはずです。

「走りながら考える」

2010年の南アフリカでのW杯を戦うための日本代表監督に就任し、病気のため志半ばで退いたオシム監督は、理想とする選手像を、そのように語っていました。
静かな闘志を燃やしている瞳と、思慮深い言動に、彼は時折哲学者のようでもあると揶揄される。

「走りながら考える」。この言葉、私は本当に好きです。経営自体が生き物のごとく、日々変化する中で、走りながら考えていかないと、環境変化にも対応できません。
もちろん、それは組織にもあらゆるビジネスシーンにもピタリと当てはまると思います。。
「働きながら考える」ことができる人がたくさんいるとチーム運営もかなり楽になると思いますし、フレキシブルでスピードが速くなると思います。
指示待ちではなく、自分で考え、しかも走りながら考える。こんな人材に自分もなるべきですし、そんなメンバーと一緒に「理想のチーム」を築いていきたいものですね。



 

■「Unique Asset Management -独自の資産形成-」

本日から複数回にわたり、比較的実践している方が多いプランや金融商品について、ご紹介していきたいと思います。

ただし、コンプライアンスの問題で商品名はお伝えできません。
その点はご了承ください。

まずは投資・運用のスタンスについてお話しましょう。
ここには、大きく分けて5つの方法があります。

自分に合った投資方法を知ろう

まず1つ目は、期間の分散。
毎月、毎年、3年、5年、10年、20年などといった期間に分散を考えます。
短期・中期・長期といった、使うタイミングに合わせた運用期間を考慮するかたちですね。

2つ目は、通貨の分散。
円・ドル・ユーロ・オーストラリアドルなどの通貨に分散していきます。

分散する先を選ぶ際には、ドル・ユーロ・ポンド・オーストラリアドルなどの安定性のあるもの、そしてアジア通貨などの成長性のあるものを考慮します。
最近ではここにビットコインに代表される暗号通貨も入ってきますね。

3つ目は、マーケットの分散。
株式・債券・不動産・商品などマーケットにもいくつもの種類があります。
オフショアファンド・海外ファンド・事業投資・不動産・リゾート投資など目的に応じて、ポートフォリオを構成し、相関性のない商品構成を組むことで、市場の動きに一喜一憂しない状態にします。

4つ目は、アメリカ・ヨーロッパ・アジアなど運用国の分散です。

「実際に運用される国は経済が伸びているか?」
「成長分野の産業があるか?」
「税体系がどうなっているか?」

などなど国により政策も違えば、力を入れている分野も異なります。
そんなところも重要なポイントになるわけです。

最後の5つ目は、ロングステイの候補地など、将来の居住地としての分散です。
生活費の安いアジア地域でのメイドサービスを利用しながらの、質の向上を図れる生活も目指せるでしょう。

これは、ご自身の分散したい通貨や国を選択するときに重要なポイントになります。
為替の影響を受けないようにするためにも、候補地として考えておくと自分の中での指標が作りやすくなりますね。

そういったことも踏まえながら、多くの方が実践している分散方法をご紹介していきたいと思います。

 

■「Zoom In -BALI or Philippinesのリアルな生情報-」

フィリピンの歴史第二回目、今回はスペインの統治からスタートします。
スペインは当初、香料を求めてフィリピンを征服しましたが、フィリピンでは香料が見つからなかったために、主に交易中継地として扱われました。
東洋の品が年に1回ガレオン船で太平洋を横断し、メキシコを通過しカリブ海経由で欧州へとかなりの長旅の貿易が行われました。

スペイン入植後に流通、浸透した貨幣経済により原住民は土地を借金の代わりに取り上げられていき、植民地支配が苛烈になっていきました。
当時の日本(豊臣秀吉)の海外との朱印船貿易が発展することで、日本人とスペイン商人の通商が発展していきました。
東南アジア各地域に貿易に従事する多くの日本人が移り住み数千人程度の日本人町を形成しました。
マニラ(呂宋、ルソン島)にも小規模な日本人町が形成されました。
ちょうどこのころに中国人が多数移住してきます。

スペイン総督府は周辺のムスリム(ホロ島やミンダナオ島)と幾度も衝突し300年にもわたって、モロ戦争と呼ばれる抗争をし続けていました。

しかし、敵は現地だけにとどまらず、商売敵のオランダ連合東インド会社に攻撃されたり、イギリス東インド会社にマニラを一時的に征服されたりしました。
またカトリック化した原住民や華人の反乱なども相次ぎました。

時代を経て新興国のアメリカやイギリスとの貿易の拡大とその影響力により自由主義的な思想がフィリピン原住民に流入し、植民地支配から独立するという機運が生まれました。
19世紀末になると、フィリピンにも有産階級が成長し、フィリピンからスペインへ留学する層があらわれました。

そういったフィリピン人留学生にもナショナリズムが起こり、民族運動が起こりました。
幾度もスペイン総督府から弾圧を受け、反抗もさらに激化しフィリピン独立革命が起こりますが、敗北しました。
次回アメリカ統治時代につづく 筆:西島