本メルマガは、週1回程度を目安に以下の3つのパートから情報をお送りさせていただく内容となっております。

  • 「Paradigm Shift -新しい価値観-」
  • 「Unique Asset Management -独自の資産形成-」
  • 「Zoom In -BALI or Philippinesのリアルな生情報-」
 

■Paradigm Shift -新しい価値観-


今日はGW最終日。
私はというと、一旦日本に戻り、妻の誕生日をお花と食事でお祝いし、つかの間の休日を家族と過ごしました。
やはり、日本の食のレベルは高いですね。どこのお店にいってもある一定のレベルには達していますので、がっかりするよ
うなことはほぼありません。

残念なことに今行っているアジアの国々(Indonesia・Philippines)では、たまにがっかりするような食事にあたることも
ありますが、それも含めて海外経験だととらえてます。とはいえ、年々食のレベルは上がっていると実感しています。

ということで、二か国の料理の特徴などをご紹介していきたいと思います。

まず、フィリピンは多様な文化や地域性が反映された特徴的な料理があり、世界的にも有名です。一般的なフィリピン料理
には、豚肉、鶏肉、魚介類、野菜などが使用され、酸味のある料理や甘辛い料理など多彩な味わいが楽しめます。

ただし、まだまだ発展途上国であり、貧困層や地方部では栄養失調や飢餓の問題も根深く、食糧の安全ということについて
の課題は残っています。また、高カロリーで油っこい料理も多く、糖尿病や高血圧などの生活習慣病の発症率が高いことが
マイナスポイントですね。

近年では、健康的な食生活の重要性が認識され、野菜や果物の消費増加や、オーガニック食品やマクロビ料理、ローカルフー
ドの人気が高まっています。また、フィリピン国内での持続可能な農業や漁業の推進、フードセキュリティの確保なども注力
されています。

一方でインドネシアの食レベルは、地域や文化によって異なりますが、一般的には豊富なスパイスや調味料を使った味わい
深い料理が特徴的です。代表的な料理には、ナシゴレン(炒飯)、ミーゴレン(炒麺)、レンドン(スパイシーなココナッツ
ミルクスープ)などがあります。また、海産物を多く使った料理や、インドネシア独自のお菓子なども人気があります。

やはりインドネシアも発展途上国であり、食糧の安全ということについては課題を残しますが。貧困層や地方部では栄養失調
や飢餓の問題も深刻であり、食糧価格の高騰や、地球温暖化などの影響による農業生産性の低下も懸念されています。

近年では、持続可能な農業や漁業の推進、食育の普及、ローカルフードの支援などが進められており、フードセキュリティや
食文化の発展に向けた取り組みが行われています。また、健康志向の高まりに伴い、ヘルシーな食品やオーガニック食品など
への需要も増加しています。

また、バリ島と首都Jakartaでは、宗教の違いから摂取できる肉の種類も異なり、料理の文化なども大きく行っているのは、
非常に大きな特徴と言えると思います。

つらつらと記載しましたが、実際にアテンドさせて頂く際にははずれのないお店に行きますので、ご一緒される方はご安心下
さい。是非、IndonesiaとPhilippinesも食の部分で楽しんで頂けたらと思います!

 

■「Unique Asset Management -独自の資産形成-」


欧米メディアは4月29日に経営不安が高まっている米中堅銀行ファースト・リパブリック銀行(FRC)が30日にも経営破綻し、
米連邦預金保険公社(FDIC)の管理下に置かれると報じました。

リーマン・ショック後で最大規模の破綻となるわけですが、シリコンバレー銀行とシグネチャー銀行に続き、わずか2カ月足ら
ずで米銀3行が破綻したわけです。
一体何が起きているんでしょうか??

サンフランシスコに拠点を置くファースト銀行は資産規模全米14位(2126億ドル=約29兆円)でした。
昨年来の金利上昇によって債権の含み損が膨らみ、市場では警戒が広がっていたようです。3月にシリコンバレー銀行が破綻す
ると、ファースト銀行でも取り付け騒ぎが発生し、3月末時点の預金残高は昨年末より4割も減少していました。
ファースト銀行は公的管理を経て金融大手に売却される方向です。

「含み損を抱える米国の中小銀行は少なくなく、信用不安はまだまだくすぶっている。大口預金が引き出され、破綻に追い込ま
れる銀行は今後も続く恐れがあります」とある金融ジャーナリストは言っています。

3月に発表された学術調査によると、米国内にはシリコンバレー銀行と同様のリスクを抱えた銀行が186行に上るといいます。

預金者がナーバスになっているだけでなく、金融当局も銀行に対するチェックを厳しくしているようです。経営の健全性を示し
たい銀行は、信用の低い企業や個人に対してもちろんながら融資態度を硬化。貸し渋りや貸しはがしが横行し、米国の中小銀行
の融資残高は激減しています。

米財務長官のイエレン氏は銀行が融資をさらに引き締める可能性を指摘し、「追加利上げの代わりになる可能性がある」と発言
しています。これは、信用のない低所得者やベンチャー企業は融資を受けにくくなっていることを指します。

金融ジャーナリストいわく、
「FRB(連邦準備制度理事会)は2023年後半から緩やかな景気後退に入るとの見方を示していますが、すでにリセッションの
“入り口”に差し掛かっていると言う人もいる。厄介なのがインフレです。米国の3月のCPI(消費者物価指数)は上昇率5.0%と
依然高い水準です。景気後退でありながら物価が高止まりする可能性があります。08年のリーマン・ショックも当初、局地的と
みられていましたが、あれよあれよと大きな世界的危機に発展してしまった。今はリーマン級危機の前夜なのかもしれません」

景気後退と物価高が同時に起こる危機 = これはいわゆるスタグフレーションです。

スタグフレーションは、経済が減速または不況に陥っているにもかかわらず、物価が上昇し続ける状態を指します。このような
状況は、標準的な経済政策がインフレを抑制するために使用されるため、不況を悪化させることがあるため、困難な経済状況と
考えられています。

通常、スタグフレーションが発生する原因には、供給ショックがあげられます。供給ショックが発生すると、商品や原材料の供
給が急激に減少し、価格が上昇することがあります。例えば、石油危機は、石油価格が急激に上昇することで、石油を必要とす
る商品やサービスの価格が上昇する原因となることがあります。

しかしながら、今回の場合は、政府の過剰な財政政策や金融政策からくるインフレからのスタグフレーションです。
スタグフレーションは、従来の経済政策では対処が困難な経済状況であると言われており、経済後退と物価高の両方の要因を分析
し、対策が必要とされますが、あらゆるところでおこっているねじれ現象が消えない限り、自浄作用が図られるのは必須なのかも
しれないですね。


 

■「Zoom In -BALI or Philippinesのリアルな生情報-」


新・フィリピンと日本の歴史(9)最終回

江戸幕府といえば、現在でも鎖国のイメージが強いと思いますが、一般的に鎖国と呼ばれる海禁政策は、カトリック
教徒との貿易を禁じただけで、プロテスタントやその他の外国との貿易は引き続き継続していました。
直接の取引がないだけで、日本の製品は微量ながらもオランダを通じて西欧州に広まっておりましたし、元禄時代に
は欧州で流行ったものが日本にオランダを通じて江戸で流行るなんてこともありました。

さて、マニラですが、その後も日本人は増え続けました。

徳川家康は、当初はキリスト教に寛容であったのだが次第に警戒するようになり、慶長一七年(一六一二年)に直轄地
の教会の破壊と布教の禁止を命じ、翌年には禁教令を全国に広げ、慶長一九年(一六一四年)には修道会士や主だった
キリスト教徒がマカオやマニラに追放しました。

有名なキリシタン大名であった高山右近も、この時にマニラに追放された一人で、他には内藤如安や豊後の大友宗麟
の息女なども同時期にマニラに到着しています。しかしながら、右近はマニラ到着後数か月でこの世を去り、その後
内藤如安らは、マニラ市外のサン・ミゲルという村に居を定めたといわれています。

日本人町があったマニラのプラザ・ディラオには高山右近の銅像があるとのことです。
https://4travel.jp/travelogue/11103053

一六二〇年頃には日本人が三千人を超えていたことが記録されていますが、その後の日本は、寛永十二年(一六三五
年)に日本人の海外渡航と国外にいる日本人の帰国が禁止され、寛永十六年(一六三九年)にはオランダと中国を除く船
の入国を禁止しました。
それ以降フィリピンにおける日本人の記録は僅かしかなく、一六六〇年に現地人の反乱の鎮定に日本人傭兵が用いら
れた記録が残されているくらいで、その後は日本人が増加する要素は乏しく、ディラオの日本人町は衰微していった
ようだ 。

岩生氏の『南洋日本町の研究』にル・ジェンチルの東印度航海記が引用されており、そこには一七六七年における日
本人について「その数は多くても六、七十名に過ぎず、いずれもキリスト教徒だった(p.332)」とあります。岩生氏に
よると、おそらくこれがマニラの日本人町に関する最後の記録になるとのことです。

今のマニラには、かつての日本人町を偲ばせる建物等は何ひとつ残されていませんが、17世紀以前にフィリピンに渡
った日本人の末裔が、今もフィリピンに残っているのかどうか、興味深いと思いませんか?

新・フィリピンと日本の歴史 了
西島 筆