本メルマガは、週1回程度を目安に以下の3つのパートから情報をお送りさせていただく内容となっております。

  • 「Paradigm Shift -新しい価値観-」
  • 「Unique Asset Management -独自の資産形成-」
  • 「Zoom In -BALI or Philippinesのリアルな生情報-」
 

■Paradigm Shift -新しい価値観-


29日の帰国まで1週間を切った。今回も吉方を取りつつのバリ島での仕事。
いろいろなご縁をさらに深く育めたし、今後につながる有意義な滞在となりました。

ちなみに私とバリ島との出会いは、2004年(平成16年)までさかのぼります。

名古屋、富山間の遠距離交際を含む4年の交際を経て、2004年に結婚し、滞りなく結婚式も終わりその翌日から新婚旅行に旅立ちました。
行き先は、お察しのとおり、そうバリ島です。
新婚旅行といえば、ハワイやモルディブ、オーストラリアなど、いろいろメジャーなところがあるわけですが、いろいろと迷った挙句に
コストパフォーマンスの高そうなバリ島にしたわけです。

何気なく選んだ新婚旅行先でしたが、当時のリッツカールトン(現アヤナリゾート)に宿泊しました。
ホテルでの二人だけのサンセットディナー。山奥からの激流下り(ラフティング)。
離れ小島に行ってのマリンスポーツ。一部屋ごとに分かれたスパ、バラの花びら入りの風呂。
1日車をチャーターしての寺院、名所めぐり。特別にドライバーさんのお勧めスポットも回り楽しみました。
終わってみれば、すごく充実した旅行になり幸せいっぱいな気持ちになりました。
この新婚旅行がきっかけで、バリ島がすっかり大好きになってしまったわけです。

その後、いつかまたバリ旅行に行きたい。という気持ち持ちながら日々サラリーマンの暮らしを送っていましたが、その半年後の2005年
3月にあろうことか、独立のための会社を退職しました。妻には辞めてきた当日伝えたので大喧嘩でした。今では笑い話なので良いのです
が、当時は大事件でした・・・

そして、それから2年後の2007年に転機が訪れました。
当時、会員制の投資クラブの事業をしており、その流れから投資顧問会社の役員をしていたのですが、その会社の社長から「バリ島で大成
功をしている日本人がいらっしゃるので、会いに行きませんか?」というお誘いを受けました。
バリ島が好きで、行きたいという気持ちを募らせていたのもあり、ふたたびバリ行くことになりました。

そして、待ち合わせの場所に現れたのが、当時バリに2台しかないと言われたハマーを軽快に乗り回し、爆音とともにゴールドを身にまとっ
た丸尾さんだったわけです。その後、「出稼げば大富豪」の著書と、2015年1月17日に全国公開された「神様はバリにいる」の堤真一演じる
主人公の通称『兄貴』により、Baliの兄貴が定着していくわけです。
このご縁がきっかけとなり、お気に入りであったバリ島がビジネスの場として動き出したのです。

それから、私はバリ島に来るたびにBaliの兄貴こと丸尾さんにお会いしている。
単に不動産がどうとかいう話ではなく、そこから学べることが多くあるからだ。
ただ、明確に何かを学ぶためにそこにいるわけではなく、感じ取れるものがあるからだ。

お会いしてから15年以上になるが、言行一致と初志貫徹ということに関してはこれほどの人はいないと思っている。
人はこれほどぶれないものなのかと思うくらいだ。

コロナ前は年間で3000人も訪れてた兄貴邸。ホントにいろんな方がやってくる。
相手にする必要もないような方にも真摯にお話しされ、同じ質問にも丁寧に答えられる姿を見ているとまだまだ人間としての修業が足りない
と感じずには入れない。丸さんのアドバイスで人生が変わった人もみてきた。もちろん、行動に移したのは自身であり、そういった意味では
受け取る側に力も試される。

自分には人間力がある、受け取る力やその器があると思っている方は是非バリに訪れてみてほしい。
きっと、もっと人生が豊かになることは間違いないと思う。

 

■「Unique Asset Management -独自の資産形成-」


【The Armed Forces of the Philippines is undertaking a 15-year modernization program that started in 2012 and will continue through
2027 under the Republic Act (RA) 10349 or the Revised Armed Forces Modernization Act.
The total cost of the 15-year program is projected to be over $40 billion.
There are opportunities for the sale of aircraft, ships, unmanned vehicles, intelligence and surveillance systems, communications,
personal protective equipment, and weapon systems. 】

【フィリピン軍は、2012年に開始され、共和国法(RA)10349または改正軍近代化法に基づいて2027年まで続く15年間の近代化プログラムに着手して
います。15年間のプログラムの総費用は400億ドルを超えると予測されています。
航空機、船舶、無人機、諜報および監視システム、通信、個人用保護具、および兵器システムの販売の機会があります。】

https://www.trade.gov/country-commercial-guides/philippines-defense
このサイト内に記載があるように、Philippinesでは2027年までにおよそ400億ドルの予算を防衛省関係に割り当てています。
これが何を意味するかというと、弊社のPhilippines事業の一環として、この防衛省関係のconstruction事業を受注マネジメンしている会社とコネク
ションができたことにより、事業参画することが可能になりました。

いわゆるプロポーザルから設計・予算化までが済んでいる、軍関係の事業所、宿舎、研修センター、エマージェンシーハウス、港湾開発などの
construction部分を現地会社とJVを組んで実行していけるわけです。
まずは、設計図面に合わせた、資材調達部分を担い、建築は現地会社と人材で行い、基礎完了、屋根完了など、プログレスpaymentでの入金を受けて
いく事業となっています。

政府が相手なのでいわゆる官公庁事業になるので、収益回収の面は安心と言えます。後は、原価圧縮や工期コントロールで利益率を高めていくこと
になります。このAFPのConstruction事業にはレイティングがあり、新設会社の場合はクラスDから始まり、工事規模により参加できるものが限定され
ます。
1つのプロジェクトの工期については、金額にもよるが、3000万peso以下では3か月~6か月、1億pesoを超えるものになると12か月などとなり、予定工
期と入札価格を鑑みてプロジェクトを選択する形を行っていきます。

今回8つのプロジェクトの資材調達部分を並行で行っていく契約を結ぶ予定です。
全体で3200万peso(およそ8000万円)のProjectになります。事業参加される方は1年以内(8~10か月)でおおよそ10%~12%の事業収益を受け取って
いただくことを目論んでいます。
もし、ご興味ある方はお気軽にご連絡ください。

 

■「Zoom In -BALI or Philippinesのリアルな生情報-」


新・フィリピンと日本の歴史(8)

徳川時代のマニラ郊外の日本人町

豊臣秀吉が没し、徳川が天下を取った後、意外に思われるかもしれませんが、フィリピン在住の日本人が再び増加し
ています。
一六〇一年にフランシスコ会がディラオに在住する日本人の為に教会を建立する許可を総督から取得したという記録
が残っているそうです。
おそらく一五九二年以降は、ディラオに日本人居住区があったのではないかと思われます。

一六〇三年にマニラ在住のチャイニーズの暴動が発生し、その鎮圧に日本人が集められました。

以下書籍引用

太守は支那人反乱と聞いてこれが鎮定の手筈をし、一六〇三年十月五日の朝、スペイン人数名と、日本人傭兵四百名
をしてマニラ市を出発してこれが討伐に向かわしめた。この時のスペイン人は単に数名と書いて有るだけだから正確
にはわからないけれども、あまり多くはなく、大部分は日本人であった。この日本人を主とする支那人討伐隊は、勇
敢に奮戦して一千五百名以上の支那人を倒し、彼らの食料品をことごとく焼いてしまった。食物を焼かれたので致し
方なく、残った支那人は陣地を捨て、千五百人の者が列を組んでマニラ市に向かって引き揚げた。

スペイン人はこの討伐戦で日本人の剛毅沈着、勇敢無比であるのを実際に見て、日本兵を信頼する事いよいよ厚く、
太守および軍事参事会に於ては、さらに支那人攻撃の手配を定め、同年十月七日朝八時から九時までの間に、各々鉄
砲を持った百五十名のスペイン兵と、総数五百の日本人をガリナトという者に指揮させて出発し、非常な勢いを以て
進撃した。スペイン人はなかなか狡猾で、先鋒にはすべて日本人を配し、自分たちは殿軍となって敵陣営に乗り込み、
支那人五百人を殺したほか多数を傷つけ、彼らの軍旗を奪い取った。…

(奈良静馬 著『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』大日本雄弁会講談社 昭和17年刊 p.168~169)

まだまだ戦いの記述は続きますが、この戦いによる死亡者は中国人千五百人で、スペイン人は六名、日本人は四名だ
けだったという。

この事件以降さらに日本人のニーズが高まり、マニラの日本人は増加していきました。
一六〇六年の記録によると、日本人の店舗は九十一軒あったようで、その年に一人の日本人がスペイン人に殺害され
たことから、武器をとって暴動を起こそうと立ち上がった日本人が千五百人もいたとのことで、わずか三年間で急速
に日本人が増加していたことが分かる。この時は宣教師の説得で事なきを得たが、スペイン人は日本人が増加するこ
とを次第に怖れるようになっていった。同上書にはこう解説されている。

以下書籍引用

ディラオの町に押し込められていた日本人は太守(アキュナ)の死を機に、スペイン人の覊絆を脱せんとして、一時に
反抗して立ち上がり、双方共に少なからぬ死傷者を出したが、結局は鎮定されてしまった。…(中略)

 一六一二年フィリピン在住の日本人は武器を持つに足る者だけでも七百人以上あったから、日本人はフィリピンに
とって不断の脅威であった。一六一九年乃至二〇年にヘルナンド・デ・ロス・リオス・コロネルは日本人をマニラか
ら一掃することを請願した…

(奈良静馬 著『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』大日本雄弁会講談社 昭和17年刊 p.148~149)

次回最終回 江戸幕府の対外政策とフィリピンの日本人町 西島筆