■Paradigm Shift -新しい価値観-
日本の消費者金融の歴史を1950年代から2000年代にわたり振り返るこの企画ですが、今回はラストの2000年代をみていきたいと思います。
1999年の商工ローン問題を受けて、貸金業規制法と出資法の改正論議が急速に進み、99年12月に改正法が可決・成立、翌2000年6月に施行という急展開を見せます。特に、出資法の定める貸付上限金利が年40.004%から29.2%に引き下げられたことは、消費者金融業界に大きな影響を与えました。
上限金利の引き下げは、中小消費者金融業のマーケットを失わせる結果となり、顧客基盤を失った業者の中には廃業したり、大手の傘下に入る業者が少なからず見られ、業界の再編をうながす一因となりました。
一方で、メガバンクとの資本・業務提携も進み、2004年にアコムが三菱東京フィナンシャルグループ(現:三菱フィナンシャルグループ)と、SMBCコンシューマーファイナンス(プロミス)が三井住友フィナンシャルグループとそれぞれ資本・業務提携を発表しました。
消費者金融業者が加入する全国信用情報センター連合会(全情連/JIC)は、2000年前後から、クレジットカード会社が加入する(株)シー・アイ・シー(CIC)、銀行・信用金庫・信用組合・農協などの金融機関が加入する全国銀行個人信用情報センター(KSC)との間で、ブラック情報の交流システム「CRIN(クリン)」の運用がスタートしました。
このシステムの導入により、与信の厳格化・過剰貸付の防止が図られ、大手6社などでは契約者の属性が向上し経営が健全化する結果をもたらしました。
しかし一方で、個人信用情報を利用した借入れの勧誘など悪用の事例もあったほか、与信の厳格化により利用者が「ヤミ金」に流れてしまうという副作用を指摘する声も上がりました。
1954年に施行された「利息制限法」は、適用される利息の上限を制限しています。この制限は借り入れ金額によって変動するもので、元本が10万円未満は20%、10万円~100万円は18%、100万円~1000万円は15%となっています。
ところが、この「利息制限法」には罰則が設けられていないという特徴がありました。罰則がないため、貸金業者は利息制限法の上限よりも高い貸出利率を設定できる状態になっていました。
上で見たように、2000年6月施行の改正出資法で上限金利は29.2%まで引き下げられましたが、なお利息制限法の上限金利と出資法の上限金利には「幅」があり、この「幅」は一般的に「グレーゾーン金利」と呼ばれていました。
利息制限法の上限を超える約定利息は民事的には無効ですが、出資法の上限を越えないかぎり法的な罰則は発生しません。貸金業者は、貸付金利をこのグレーゾーン内に設定することで、長年に渡り高い利息を得ることができていたのです。
ところが2006年に、グレーゾーン金利をめぐる判決が裁判所によって相次いで示されます。これらは、利息制限法の上限を超えて支払った金額を認める「みなし弁済」規定について否定する内容で、事実上「グレーゾーン金利を認めない」という判決でした。
そうなると、これまで利用者が必要な返済だと思って支払っていた超過金利分の利息は、必要以上に支払いすぎていたお金だったという結論になります。
これが、近年弁護士事務所や司法書士法人などのCMでよく耳にする「過払い金返還」は、このグレーゾーン金利によって支払いすぎた利息のことを指すのです。
なお、2010年の改正貸金業法の完全施行により、上限金利はどちらも20%と統一されました。グレーゾーンは消滅し、消費者金融業者の収入を支えてきた高金利も廃止せざるを得なくなったのです。
メルマガ38号から4回にわたってお届けした日本の消費者金融の歴史でしたが、現在のPhilippinesでの消費者金融(レンディング)の状況を見ると、日本の40年以上前といえると思います。
年代 上限金利
~1954年まで 上限金利の概念なし
~1983年まで 109.5% 今では考えられないほどの利息上限
~1986年まで 73.00%
~1990年 54.75%
~2000年 40.004%
~2010年 29.20%
2010年~ 20.00%
レンディングに限らず、アジアの国ではまだまだタイムマシンビジネスになり得るビジネスの種があるのだと思います。
http://wwcam.co.jp/lp/
Philippinesでのレンディング情報はこちら。 |